川上善兵衛

                
(1868年3月10日〜1944年5月21日)


◆国産ワインの父、川上善兵衛です。

◆頸城郡北方村の地主の家に生まれました。


◆皇族・華族の方々が葡萄園にお立ち寄りになられました。

◆上越の地に「岩の原葡萄園」をつくりました。

◆新しく誕生した高士村の村長として村政に取り組みました。




(写真提供:(株)岩の原葡萄園)


慶応4年(1868年)頸城郡北方村の地主の家に生まれました。
明治20年(1887年)東京下谷の小沢善平に新しいぶどうの品種や接木の方法についての教えを受け、山梨でぶどう栽培の初歩を学びました。善兵衛が葡萄業を志したのは、植え付けを始めてから収入を得るまでの年数が早いことや、ワインの醸造法は失敗例が少ないため、外国産の苗木を日本の土壌で育てれば、外国から搬入される高級ワインに負けないくらいよい国産のワインができるであろうと考えたからでした。
明治33年(1900年)33歳の若さで新しく誕生した高士村の村長となり、財政の安定、教育の振興、交通の確保に取り組みました。
明治35年(1902年)皇太子殿下(のちの大正天皇)御一行が、岩の原葡萄園にお立ち寄りになられ、葡萄園とワイン工場を見学されました。
昭和9年(1934年)『寿屋(現サントリー(株)』と共同出資で『株式会社 寿葡萄園』を設置し、昭和11年に『株式会社岩の原葡萄園』と改称しました。
昭和19年(1944年)中頸城郡高士村の自宅で76歳の生涯を終えました。