前島密

                     
(1835年1月7日〜1919年4月27日)     


 ◆郵便の父、前島密です。

 ◆越後の高田藩士の家に生まれました。

 ◆日本郵便制度を作りました。

 ◆東京専門学校(早稲田大学)の校長を務めました。

 ◆鉄道事業にも功績を残しました。

 ◆上越市高田の生家跡に「前島記念館」が造られました。


(銅像のある場所 新潟県上越市 前島記念館)

天保6年(1835年)越後国頸城郡津有村下池部(現在の上越市下池部)に生まれました。幼少の頃の夢は医者になることで、江戸に出たのも医学を勉強するためでした。
明治3年(1870年)に駅逓権正(えきていごんのかみ)兼任となり、このとき郵便事業開始を発表しました。この年イギリスに渡り、余暇に郵便事業を学びました。
明治4年(1871年)にイギリスで郵便事業を見聞してきた密は、帰国すると駅逓頭(郵便長官にあたる)になり、翌年に全国に郵便網を延長し、6年には全国を同じ料金で配達する均一料金制とし、誰もが郵便を利用しやすくしました。
明治20年(1887年)には、東京専門学校(早稲田大学の前身)の校長となりました。そして、校長を退いたのちも、同校の発展のためにつくしました。また、同年、関西鉄道会社社長となり、この後も東京馬車鉄道会社監査役、北越鉄道会社社長などに就任し、鉄道事業にも功績を残しました。
大正8年(1919年)神奈川県三浦郡西浦村芦名別荘如々山荘にて84歳の生涯を終えました。